死を日常の風景とまでした昭和の戦争の過ちを忘れない

(日経「春秋」2013/8/15付) 昭和20年8月15日、「どう云う涙かと云う事を自分で考えることが出来ない」と百間はしたためている。人々はただ、泣いた。それは無念の涙だった。悔恨の、憤怒の涙だった。幻滅の、虚脱の涙だった。「父母(ちちはは)の泣けば幼き子等までがラヂオの前に声あげて泣く」高見楢吉。この巻の題は「山河慟哭(どうこく)」という。8.15体験は、かくも激しかったのだ。慟哭は、戦争で死んだたくさんの人々の痛苦と響き合っていたに違いない。死を日常の風景とまでした昭和の戦争の過ちは、やはりどれほど省みても過ぎるということはない。戦後という時代を思うとき、その出発点の涙を忘れてはなるまい。さまざまな矛盾をかかえつつ「戦後」はずしりと重いのだ。「新しき世をし創らむと若きらがひたぶるなりしその貌(かお)を見よ」羽場喜弥。
(JN) 戦争を動かした者たちは、兵士や銃後の者たちにどれだけの苦しみを与えたのか。現代の政治リーダーたちは同じ間違えを起こすことはないであろうか。この時から68年も経つと、その直接の経験者がいなくなるし、日本人は四季の移り変わりのように変化して、忘れ去ってしまう。日本軍はアジア諸国で何をしてきたのか、米国と戦い一般市民まで砲火を浴びせられたことなどを、忘れないために振り返りたい。戦後は終わらないようにもう戦争は起こさず、永遠に戦後が続けく、そのためにせめて日本人よあの戦争を忘れないでほしい。私たちは永遠に新しき世を創っていかねばならない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO58518180V10C13A8MM8000/