戦争のことはまた来年、否、忘れてはならない

(日経「春秋」2014/8/28付) おととい80歳で急逝した俳優・米倉斉加年さんの生家は福岡市の大きな炭屋で、三和土(たたき)に絵を描くのが幼いころの遊びだった。飄々(ひょうひょう)として繊細なその演技を愛する人も多かっただろうが、とても副業とはいえぬ画家、絵本作家であった。才能を生かした代表作が絵本の「おとなになれなかった弟たちに…」である。1987年から今日まで、中学1年の国語の教科書(光村図書)にも本人の挿絵つきで載っている。弟は終戦間近の7月末、疎開先で栄養失調で死んだ。2歳前だった。斉加年少年は母の目を盗んで配給のミルクを缶からちゅっちゅっと飲んでいた。「罪悪感はいまも消えない」。「だから弟の命日には仏前にミルクをあげることに決めたのに、最近はそれすら忘れる。人間って忘れっぽいんですね」。戦争の記憶を持つ人が減っていく、ということは、国の記憶の総体が減るということだ。8月15日が過ぎれば戦争のことはまた来年、といった風潮もある。米倉さんの死が「忘れるな」と訴えている。
(JN) 私たちは、過去のことを忘れるし、誤った記憶にすることもある。しかも、人それぞれの都合で異なる。それを事実のように記録にしてしまう場合もある。そのためであろうか、戦争はその傷を大きく残すにもかかわらず繰り返してしまうのか。今の時代も、海外では戦争が繰り返されている。戦争の影響は、それを実行している人だけの範囲で収まらない。弱者が無抵抗に悲惨な現実に落とされる。それが憎しみを呼び、それがまた闘いを継続させる。何と悲しいことか。この永続的な戦争の継続を断ち切ることを破壊力ではない方法で考えて、実行しなければならない。それは、それぞれの持ち場でもできるはずだ。そのために、戦争を忘れないことである。米倉さんの声とこころを忘れたくない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO76265290Y4A820C1MM8000/