「本モノ」の空襲の前に、なぜ戦争をやめられなかったか

(日経「春秋」2013/8/14付) 「本モノノ空襲警報ガ初メテ鳴ッタノハ昭和十九年十一月一日デアル」(内田百間の戦時日記「東京焼盡(しょうじん)」)。大戦の空襲というと、何年間も続いていたイメージがある。しかし敗戦前年の秋までは案外ノンビリ構えていたという。実際に焼夷弾(しょういだん)が雨あられと降りそそぎ始めたのは昭和20年の2月以降である。銃後の国民が逃げ惑い、命を落とし、日本中の都市が炎上していったのは、それからのわずか半年ほどの間の出来事なのだ。「本モノ」の空襲の前に、なぜ戦争をやめられなかったか。歴史をたどれば誰もが思うに違いない。いまでは太平洋戦争のこういう経緯さえ忘れられがちだ。惨禍を何倍にも大きくした本土空襲には、そして原爆投下には前史があったことをもっと知ってもいい。指導者はやめる勇気を持てず、なお泥沼にはまっていったことを、あらためて悔いてもいい。「熱涙滂沱(ぼうだ)として止まず」。玉音放送を聞き、百間はこう記した。
(JN) この空襲は米国が行ったことを私たちは忘れてはならないし、日本がアジアで行ってきたことも忘れてはならない。戦争も震災も、この島国では忘れられてしまう。この悲劇は語り継がれ再度、その状況に陥らないようにしなければならない。辛い過去ではあるが、振り返る機会を作っていかねば、書物で残しても忘れ去られてしまう。戦争であれば、行ったものと、受けたものがあり、この両者をお互いに認識し、相手だけを責めることではならないであろう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO58481370U3A810C1MM8000/