投票箱に鬼が隠れているわけではない

(日経「春秋」2013/5/28付) 3カ月近く前になる。スイスで憲法改正のための国民投票があった。結果は賛成が68%に達し、かくして憲法に高額報酬の制限が盛り込まれることになった。スイスで国民投票は珍しくない。とはいえ、お国柄の差でもあろうか。それに比べれば、都道の計画見直しをめぐって26日に行われた東京都小平市住民投票は、その名にふさわしいと思えた。さて結果は、投票率が成立のために必要な50%に届かぬ35%だったからで、開票はされぬまま、5万1千集まった「市民の意思」はある期間ののちに捨てられるという。35%では信頼に足る市民の意思とみなせぬ、という理屈である。しかし、理屈を開陳した当の市長が当選した4月の選挙の投票率は37%にすぎない。もとより、市長は住民投票の結果を尊重しなければならないが結果には縛られないと決められている。投票箱に鬼が隠れているわけではない。
(JN) 放棄された投票とはどんな意味を持つのであろうか。我が国の民は権利である投票権を放棄している者が多い。この放棄は意志なのであろうか。政はお任せしますというこの放棄票が多くても市長選挙が成立しているならば、なぜこの度の住民投票の票が開かれないのは納得がいかない。50%の投票率がないと開票しないということは、投票された票より放棄された票の方が大事ということなのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55547380Y3A520C1MM8000/