健やかな身体に健やかな魂が願われるべきだ

(日経「春秋」2013/5/29付) 古代ローマの詩人がとなえた「健全な精神は健全な肉体に宿る」。これでは病気がちの人は健やかな心をはぐくむことができない、と解されかねない。もともとは「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきだ」といったところらしい。人は富や地位、栄光、美貌などを望むべきではなく、心とからだがそろって健康であることを望みなさい――。まさしく健全な意味の言葉だった。柔道界でまた新たな問題が明らかになった。「わが国の柔道競技界を統括し代表する団体」である全日本柔道連盟の理事が、女性選手にセクハラを加えていたことを認めて、辞意を表明した。同連盟の理事が不祥事のため辞任するのは、今年になって3人目となる。柔道を創始した嘉納治五郎は「精力善用」を説いた。健やかな体を養うこと以上に、それを正しく生かす健やかな心を養うことに、柔道の意義を見いだしたのだ。古代ローマの詩人がとなえたのと同じ境地を、嘉納も目指したのだろう。
(JN) 武道には誇り高き精神が必要であったはずだ。なぜ、このような不祥事が続くのか。これはその環境が問題なのであろう。という事は、この3人は氷山の一角であろう。全日本柔道連盟を中心に柔道界を構造改革することが必要である、というのは容易い。さてどうすれば良いのか。まずは選手の養成には、精力善用を説くことからか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55589590Z20C13A5MM8000/