変えるも変えぬも、出発点はそこにしかない。

(日経「春秋」2013/5/3付) それは、野球で「球をよく見る」という類いのことである。基本中の基本、憲法とはそもそも何かについて、橋下さんは「特定の価値を国民に押しつけるものでなく、国家権力を縛ってその乱用を防ぐものだ」と説いたという。伊藤博文明治憲法をつくる趣旨を、「第一に君権の制限、第二に臣民の権利の保全」と語ったことが知られている。近代憲法の基本中の基本は120年前に承知していたことになる。改正が現実味を帯びて迎える憲法記念日である。ここは打者がボールの縫い目に目を凝らすように、基本に立ち返りたい。権力を縛る力はあるか。国民の権利は守られ特定の価値を押しつけられていないか。変えるも変えぬも、出発点はそこにしかない。
(JN) 我々国民を守ってくれるのが、憲法である。これを国側が都合の良いようにしるのでは困る。憲法は確かに、同じものをずっと変えることなく、それを守るもののではない。国民にとって不都合があれば、変えるべきものであろう。しかし、その基本手続きである国会議員の「三分の二以上の賛成」は崩すべきではない。憲法改正とは国の意向でそんな安易なされてはならない。権力から国民を守れる憲法でなければ、憲法ではない。それは基本中の基本である。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO54654480T00C13A5MM8000/