「富士は日本一の---」この歌が発表された1911年はそうでもなかった

(日経「春秋」2013/5/2付) あたまを雲の上に出し――富士山を世界遺産に登録へ、と聞いて、つい口ずさんだ方もいよう。ご存じの通り、1番も2番も終わりは「富士は日本一の山」だ。戦後に育った世代には、すんなりと胸に落ちる表現だろう。ただ、この歌が発表された1911年当時は、そうでもなかったはずだ。そのころ日本の一部となっていた台湾の玉山(日本名「新高山」)は、富士山よりずっと高いからだ。それでも「富士は日本一の山」とうたう文部省唱歌ができたのは、台湾は本当の意味で日本ではない、という意識が表れたともみられている(上垣外憲一「富士山」)。そんな日本人の差別意識は1930年の霧社事件につながったとされる。霧社事件を題材にした台湾映画「セデック・バレ」が最近、日本で公開された。見終わったときには、ずしりと重いものが胸に残る。富士山が世界遺産になるのは喜ばしいけれど、日本一の山という言葉の裏にひそむ歴史の影にも目を向けていきたい。
(JN) 私たちは日本人が過去に起こした或いは受けた悲惨な歴史を隠し、忘れようとする。歴史の事実は認めなければならないし、無謀な戦争を起こしたことを自覚しなければならない。私たち一人一人がこれを認識、現在そして未来を考えねばならない。まずは、「セデック・バレ」を観て、恥ずかしながら知らなかったこの事件、霧社事件を考えたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO54607600S3A500C1MM8000/