日本が一つになってお祝いできないのに

(日経「春秋」2013/4/28付) 瀬戸内海を島伝いにまたぐ瀬戸大橋が開通したのは25年前、1988年の4月である。これで本州と九州、北海道、四国がトンネルや橋を通って行き来できる「日本列島陸続きに」。そのころ、「皇太子殿下(現在の天皇陛下)が沖縄を気にかけられている」と耳にした。「日本は一つにつながった」といったお祝いムードが広がることへの気がかりがお気持ちのどこかにあったか、と推察した。そんな昔を思い出している。61年前のきょう午後10時半、サンフランシスコ講和条約が発効して日本は主権を回復した。沖縄の日本復帰はその20年後だ。この日に日本から切り離されたのだという反発が根強いのもまた、事実である。きょう、主権回復を記念する政府主催の初の式典が天皇皇后両陛下が出席して開かれる。61年というキリが悪い年なのも唐突にみえる。日本が一つになってお祝いできないのに、なぜあえて。式の中身に答えはあるのだろうか。
(JN) すべての地域がすべての条件を平等にすることはできないが、日本において、沖縄は特別なところになっている。否、犠牲になっている地域である。第二次大戦により我が国は米国の容赦ない市民への攻撃を受けた。大空襲、原爆、そして上陸戦での戦い。その中で、日本がこれまでの復興が成し遂げられたのは、沖縄を米国に渡すことで政治バランスにおいてである。未だに沖縄の土地を日本に復帰したはずの人たちが自由に使えないのである。これでは心を一つにできない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO54487570Y3A420C1MM8000/