明治5年の改暦で旧暦の季節感は消えた

(日経「春秋」2014/8/1付) 八月朔日(ついたち)に吉原の遊女たちが白無垢(むく)を着ている情景を「八朔(はっさく)の雪」と言う。八朔は旧暦8月1日のことだ。いまの暦なら9月の前半にあたり、当時は早稲(わせ)が実るころ。その年で初めて稲穂を刈り入れる日とされ、その初穂を神様にささげたり、親しい人やお世話になった人に贈ったりする習慣が、まず農村で根付いたらしい。江戸では、幕府を開く前、天正18年(1590年)のこの日に徳川家康が初めて江戸城に入ったとされていて、やがて開かれた江戸幕府では正月とならぶ重要な日と位置づけられた。大名や旗本は毎年、白帷子(かたびら)に身を包んで江戸城に参上し、将軍家にお祝いを述べた。そんな武士たちの慣習が幕府公認の遊里にも及んだ、というわけでもないらしいのだが、吉原では毎年、遊女たちが白無垢姿で客を迎えたそうだ。それが冒頭に引用した「八朔の雪」のたとえとなる。明治5年の改暦で旧暦の季節感は消えたけれど、白い着物を雪に見立て涼を味わおうとした江戸っ子たちの粋に学びたい。
(JN) 段々季節感が無くなってきた。と言うより、季節を感じる精神が無くなってきた。四季折々に行事があるが、その趣旨を捉えず祝っている。なぜ、ここで祭りがあるのか、そんなことを家族など身の回りの人たちと考え共有をすべきであろう。稲一つとっても、種から始まり、収穫まで様々な催しがあるが、それを知らないので、わからないのである。食べ物への有難味も、感じないようでは生きていくのに些か寂しい。年寄りは、次に世代に、日本の文化をきちんと伝達して行かねばならない。いや、今から勉強しなければならない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO75073750R00C14A8MM8000/