国政選挙があると決まりごとのように1票の格差裁判が起きる

(日経「春秋」2013/3/7付) 長いたとえにもなれば短いたとえにもなる。100日というのはなんとも微妙である。「百日の説法屁(へ)一つ」、寺社への百日詣、百日紅、「百日天下」か。1票の格差の裁判について、公職選挙法が提訴から100日以内に判決を出すよう司法に努力を求め、きのうの東京高裁判決は提訴から79日。百日裁判の上をいくスピード審理ではあった。「違憲」を宣する一方で、「選挙無効」の訴えはしりぞける。一番ありそうな落としどころだろう。つぎは、提訴後ちょうど100日にあたる27日までに全国の高裁とその支部14カ所の判決がそろったとき、「無効」の判断が一つでもあるのかどうかが気になる。国政選挙があると決まりごとのように1票の格差裁判が起きる。そのたびに司法の説法が重ねられていく。今回は違憲で、7月には参院選があり、また裁判が起きて……。100日も積もっていけば果てしなく長い。
(JN) 自分たちのことを改革するのは難しい。しかし、仮にも国会議員たる者が一般大衆の様では日本という国自体疑われる。民主主義において選挙権は重要な市民の権利である。これを達成することのできない人を選んでいる我々自体も問題であろう。選挙というものを単なる形式としか考えていないのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO52519970X00C13A3MM8000/