(日経「春秋」2012/11/9付)
東京五輪のあった1964年は、金融引き締めで景気が冷え込んできた年でもあった。会長になっていた松下幸之助氏は実情を聞く場を設ける。会合を開いた場所をとって「熱海会談」と呼ばれている。200人も集めたのに「会談」と社史に残るのは理由がある。一人ひとりと話をしようと臨んだからだ。「言われる通りの製品を扱っても、ちょっとももうからん」などの苦言に「経営の神様」は立ち通しで耳を傾けた。そうした一人ひとりと向き合う姿勢をいま問われているのが東京電力だ。社員全員が交代で福島に送り込まれ、原子力発電所の事故で避難している人たちに家財の搬出などの支援をすることになった。東電は3万8千人の社員が福島で生の声を聞くことになる。賠償や除染の進め方の問題点を山ほど集め、改善しなくてはなるまい。
(JN)遥か遠くにいた東電の人がやっと少し福島県に近づくようだ。その人たちは、どのような指示を受けて現場に取り組むのであろうか。幹部職員もどのようにするのであろうか。来年の4月までにその準備をどのようにするのか。我々も、都合つけて被災地支援を続けよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO48226530Z01C12A1MM8000/