自らの正義を疑わないヒーロー気取りは、時に危うさを招く

  • (日経/春秋 2012/8/25付) 子連れの家族客に交じり、高そうなカメラを手にした40代から50代とおぼしき男たちが1人また1人。往年の特撮SF番組の回顧展だ。初代ウルトラマンの放映が46年前だから、当時の小学生も50代だ。いまも記憶する人が多い理由のひとつに、一連の番組にやや辛口な要素がかなり混じっていたことがある。公害、差別、いじめ、インフレ。社会問題を時にこっそり、時に正面から描いた。海底の生物が人類を攻撃してくる。実は彼らがこの星の先住民で、人類は侵略者らしい。私たちはここにいていいのか? 勇敢なヒーローを描く番組で、正義の熱には気をつけろと伝え続けた大人たちの思いが垣間見える。当時は終戦から20年余。戦後の余韻が残る騒然とした季節も、続く繁栄の陶酔も去り、いままたきな臭さが漂う。領土を巡る動きについて、自らの正義を疑わないヒーロー気取りは、時に危うさを招く。
  • (JN)正義の味方は立場が変われば、敵であり悪人になる。否、敵があるから正義の味方が生じるのか。何れにしても、ヒーロー気取りは犠牲者を必要とする。悪者を作って自分を正義の味方のヒーローにするのは勘弁してもらいたい。そう書いていることも悪人を作っているのであろうか。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO45379580V20C12A8MM8000/