終戦の詔勅のラジオ放送が終わると、まわりの顔に明るさが見えた

  • (日経/春秋 2012/8/15付) 東京・神田駅前の電気屋には15人ほどが集まっている。正午の時報。「つづいてお声をきく。みんな頭をさげ、粛然としてきく……この戦争で私は何をしてきたのだろう、と思ったら涙が出てきてとまらなかった」。67年前の8月15日を、27歳の女性はこう記していた。いま94歳の生活評論家・吉沢久子さんの戦争中の日記(「あの頃のこと」清流出版)を読んだ。「軍人にまかせておけといいながら、悪いときは国民総力戦というからな、とてもかなわないよ」という会話が職場で交わされていた。随筆家の串田孫一は、戦時中の日記には「心にもない言葉を書き、決して反戦思想と見倣(みな)されるような書き方はしない用心はしていた」という。終戦詔勅のラジオ放送が終わると、まわりの顔に明るさが見えた。4日後、風呂焚きをしながら歌っている自分に気づいて独り笑いをする。何の変哲もないことこそ尊い、とことしも胸に刻む。
  • (JN)平和の中で育った我々は、戦争の苦しさを知らねばならない。この平和が当たり前であるので、そのありがたさがわからない。それなりの自由に中にいるので、その自由のありがたさがわからない。そして、特に若者は、そのありがたさを知ることもなく、今後の未来の希望も持たず、変革することを知ろうとしない。その若者への不満は別として、改めてこの敗戦の日本から立ち上がってきた方々に感謝したい。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO45001650V10C12A8MM8000/