「いつになったら人は学ぶのか」

(日経「春秋」2014/2/23付) 娘が花を摘んで若者にささげる。若者は兵士になり、やがて墓に帰ってくる。墓にはまた花が咲き、花を娘が摘む……。フォークソング「花はどこへ行った」、この曲をつくった米国のピート・シーガーが1月末、94歳で死んだ。彼は、ショーロホフの小説「静かなるドン」のなかに引用されたウクライナ民謡に曲の想を得たという。ウクライナはいま、混乱のなかにある。1991年に旧ソ連から独立して20年あまり、国の針路は親欧米と親ロシアの間をぐるぐる回るばかりで定まらない。それぞれの後ろ盾だったEUや米国、ロシアも、これまでけん制しあうだけだった。「花は娘が刈る/娘は嫁に行く/男は戦へ行く」。シーガーは民謡の3行に誘われ、肉付けしていったという。つくった曲では「いつになったら人は学ぶのか」という詞を呪文のごとく繰り返した。まるで今を見透かしていたかのように。
(JN) 人は変わらないので、過去に学ぶことを繰り返し、しかし学べない。戦いで命を落とすのは若き未来あるはずの若者、その背後で生き残るのは権力を維持しようとする老人たちか。大戦が終わり、そして冷戦が終わっても、東西の闘いは続き、ウクライナは右往左往し続けている。私たちは技術革新を行い自分たちの周りのものは、学びにより進化して行くが、自分たち自身の行動は学びを知らず一向に進歩しない。資本は進化しているが、資本は新しい人を生み出さない。平和と言われている日本では、若者がソチへ闘いに行き、老人が的外れな援護射撃をする。いつになったら人は学ぶのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO67272360T20C14A2MM8000/