いまも世界でくすぶる戦さの火は敬えない

(日経「春秋」2014/8/16付) 見つけたとき、どれほど驚いたか。闇の怖さは薄れ、寒さを防いだ。煮炊きすれば、生と違う香味がした。悪霊も退散すると信じた。はるか古代ペルシャで山上神殿の火を拝む宗教が生まれた。そのゾロアスター教飛鳥時代、伝来していたという仮説がある。かつて、松本清張が小説「火の路」で示し議論を呼んだ。今宵(こよい)、京都では五山の送り火がともる。大文字、鳥居などが夜空に浮かぶ。お盆で戻った精霊を松明(たいまつ)が再び冥府へと送り届ける伝統行事。拝火教では、火は魂を天上に蘇(よみがえ)らせると信じられた。送り火は戦中、灯火管制で中止された。街灯も消え、夜道は暗かった。このころ、柳田国男は「火の昔」を書いて火の来歴、明かりのありがたさを説いている。もちろん、当時、国中に降り注いだ火の雨、いまも世界でくすぶる戦さの火は敬えない。山上から魂を導く火。静かに夜を照らす炎の色を深くこころに刻みたい。
(JN) 本日は、ろうそくに火をつけ、お線香を焚いた。その神秘的な日の力の前に親族が集まり、お経を聴き唱和し、墓へ行き先祖を思い、そしてご馳走を前に四方山話が永遠となりたいが、世間の時間が現実に戻す。70歳以上の叔父叔母や60歳前後の従兄弟に故郷の酒を勧められ、断ることなく話が進んだ。足元ふらつく中、「あずさ24号」に乗り、近代化してしまった田舎の家ではあるが、仏壇に火が灯る大きな窓の広い平屋の木の家には、私が生まれる前から飾られれている書や写真があり、祖父祖母の表彰状がそのままあった、そこで50年前には10人以上の子どもたちが走り回っていたなど思い、現実へ戻って行った。ご先祖は、私たちの知らぬところへ帰って行き、お盆の火は消えた。私たちのこの幸せは、平和な火の中にある。この平和は、他国の戦火とは無縁ではない。それを平和ボケで忘れてはならない。戦火という敬えない火の悪霊を退治できない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO75744940W4A810C1MM8000/