見て見ぬふりをしていて、これも立派ないじめ

  • (朝日/天声人語 7月11日付7月10日付) 以前、いじめ問題で取材した小学校の先生は、担任するクラスを「海」にたとえた。子どもの世界という広くて深い海の中で、何が起きているのか。把握するのは本当に難しい、と。この先生は深刻ないじめに気づかずにいた。だが気づいたあと、いじめとは何か、なぜいけないかを、時間をかけてクラスに浸透させた。ひるがえって大津市の場合である。中2男子の自殺をめぐり、教師はいじめを知っていたが「見て見ぬふりをしていた」と、複数の生徒がアンケートで答えていた。「自殺の練習をさせられていた」など聞き捨てにできない情報も複数あったが、早々と調査を打ち切った。輪郭と真相はぼやけ、「事なかれ主義」といった批判も飛ぶ。「自分も見て見ぬふりをしていて、これも立派ないじめと気づいたときは、本当に申し訳なかった」。悔いはみんなの糧となろう。〈昭和にもイジメはあった同窓会の返信葉書に欠席と記す〉の一首を、何日か前の本紙栃木版で見た。誰ひとり幸せにしない行為である。許さぬ意思を分かち持ちたい。

=>(JN)いじめは止めないと止まらない。自主的に自己をコントロールできず、人をいじめることで、自分が優越に浸るのである。弱い者いじめは「いかん」ということを小さいころから、グループ学習させなければならない。我々は簡単なことから実行していきたい。まずは体の弱い人に席を譲る。勉強していてわからない人がいたら、ヒントを与える。困っていそうな人に声をかける。
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