『私たちは児童虐待に対して、社会の一員として何ができようか』

『私たちは児童虐待に対して、社会の一員として何ができようか』<2019年8月8日(木)>
 本日(8月8日)は柳田国男の命日である。『春秋』(190808)は柳田が法制局参事官として、恩赦に係わり苦労したことを伝える。「ある凶作の年に・・・炭焼きを生業とする男が、飢えたわが子の顔を見るのがつらい、とあやめてしまった。『これくらい私の心を動かした特赦事件はなかった』・・・親の理不尽な暴力やネグレクト・・・外からはうかがい知れない閉じた親子の関係が引き裂かれ、痛ましい結末を生む。私たちは社会の一員として、どのような支援ができるのか。・・・『親子』・・・柳田はいう。例えば、漁師の網元と網子の関係を『オヤ・コ』と呼ぶ。地域とのつながりを含む言葉だったと説き、里親・里子制度が果たした役割などを研究した。悲しい事件簿を精読し、思索を深めた柳田の視座に学びたい」。
 (JN) 昨日、新潟へ行った友人が私の職場に顔を出してくれた。子供の話になった時に彼から「東京とは違い、今住んでいるところは、互いが顔と人物を知り、共に生活をしている」と。そしいぇ「子供たちが安心して、地域の中で自然とともに育っている」と。想えば、自分の半世紀前の東京もそうであった。つながっていた。挨拶があった。また我が田舎では、「おやこ」とは親戚までそうであった。本日の「筆跡」には小説『ビラヴド』の母親の子殺しの話が出てる。場面場面で、親と子の切っても切れない関係。その大事な関係に悲しい運命を呼ぶ社会をどう捉えようか。皆さんそれぞれの心の感情を呼び起こすとともに、柳田国男を見直してみよう。
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