『弁当の時間』

『弁当の時間』<2019年6月3日(月)>
 「『弁当の日』が全国に広がっている」と『余録』(190603)は伝える。「献立作りや買い物も親に頼らない。生産者や親への感謝の気持ちが生まれるという・・・脚本家の向田邦子さんが小学生だった戦前の『弁当の時間』についてエッセーに書いている。「おなかが痛い」「忘れた」と言って教室を出て行く同級生がいた。・・・周りの子も先生も、自分の弁当を分けてあげようとはしない。・・・自分に置き換えれば、人に同情されて肩身が狭い気持ちになるよりはいいのだと、向田さんには思えた。・・・今も昔も、子供のころの弁当には、どこか切なさがつきまとう。そんな思いもかみしめながら、生きることを学ぶのも食育かもしれない」。
 (JN) 子供時代は給食であったため、弁当は遠足や旅行の思い出になる。自ずとそれは楽しい思い出になる。でも、今、思うと遠足に来ない子がいたかもしれない。行きたくても、行けなかった仲間がいたのかもしれない。でも、ボーっとしていた子供にはそんなことは思いもよらなかった。あの頃のお弁当ってどんなであったろうか。母が一生懸命作ってくれたのに、あまり記憶にない。そう覚えているのは、ウサギの形に切ったリンゴと、母が体調悪く父が代わりに作った硬く大きなおにぎりだ。ありがとうございました。お昼のお弁当は、仕事の時間から脱する憩いの一時。手作り良し、買っても良し、楽しい時間にしたい。

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