『夏の甲子園に懐かしさを覚えるのは、現在と過去が・・・』

夏の甲子園に懐かしさを覚えるのは、現在と過去が、若者と大人が交錯する場所だからだろうか』<2018年8月5日(日)>
 「甲子園の夏がまたやって来た」。『筆洗』(180805)は彼らのその姿に思う。山田太一さんは雨中の小学校の運動会を見て、「心に残ったのは、転ばずに一番で走った子供よりも『二度もころんで、ひきはなされて、それでも走った泥まみれの』子供だった」。甲子園も「勝利をつかむ限られた者と、それよりも圧倒的に多い敗者が、また生まれる。・・・山田さんの文章にふと思う・・・大人は夢という白球をひたむきに追いかけ、希望というバットを信じて強振する球児にかつての自分を重ねる。・・・現在と過去が、若者と大人が交錯する場所だからだろうか。
 (JN) 山田太一さんは、そう言うが自分はどうであろうか。私は純粋に野球が大好きである。であるから、時間が合えば、否、チャンネル権の関係でほとんど無理な中で、チャンスをとらえて野球中継を見る。ただし、高校野球は大好きではない。あの直向きさが気に食わないこともある。「なんで、一塁にヘッドスライディングをするのだ。危険で無駄なことをするな。」なんて思いながら力が入っている自分をどうとらえようか。とにかく、炎天下で必死に野球ができる君たちが羨ましい。がんばれ球児たち、白球を全力で追いかけよ!!