『天職を探す若い人は、時に天、あるいは神様の・・・』

『天職を探す若い人は、時に天、あるいは神様の呼び声に耳をすますのもいい』<2018年7月21日(土)>
 就職先探しの若者に、『余録』(180721)は呼びかける。「天職を探す若い人は、時に天、あるいは神様の呼び声に耳をすますのもいい。そう考えると、この世には人の心に使命感を呼び起こす『声』はたくさんある。・・・5歳の女児が「ゆるして」という文章を残して虐待死した事件を受け、政府は4年間で児童福祉司を約2000人増員する緊急対策を決めた。・・・か細い声を聞きつけ、虐待から救い出す職務ほどに天が人を呼び出しそうな仕事はそう多くない。・・・幸薄いまま天に召された女児の言葉を自分への『呼び声』として聞いた若者がいたとしてもおかしくはあるまい」。
 (JN) 天職は直ぐに見つかるのであろうか。様々な経験が必要であろうか。転職を経験しても天職に行きつけるのか。難しい。「余禄」は天の声を聴けという。5歳の少女の「声」は多くの人々に届いている。若い人たちはこれをどう考えていようか。「声」に耳を貸さない人もいる。関係ないと、それはそれであろう。何とかしたいと思う人もはどんな選択があろうか。直接に係わらなくても、理不尽な世の中を何とかしたいと思う気持ちを大切にしてもらいたい。すぐに行きつかなくてもよい。そこが今の転職であり、また、天職と思っていても、そこの環境でそこにいることができないこともあろう。これは、避けられないことでもある。互いの存在を認め合い、そして、理不尽な人から社会まで、その存在にも気づき、天職として何ができるか、考えよう、悩んでほしい。理不尽な傘の下に入ればやがて理不尽にならねばならない。