『「おぎゃあ」。その声に車内から祝福の拍手がわいたと聞く』

『「おぎゃあ」。その声に車内から祝福の拍手がわいたと聞く』<2018年1月23日(火)>
 「電車内といえば、見たいものより見たくないものの方が目に飛び込んでくる」。 『筆洗』(180122)は列車内の自分たちへの不満を述べるとともに、そうでもないかもしれないと。「千葉県柏市のJR常磐線柏駅に停車した電車内で二十代の女性が女児を出産した一件である。車内に居た四、五人の女性たちが出産を助けて子どもを取り上げている。『おぎゃあ』。その声に車内から祝福の拍手がわいたと聞く。人間は想像以上に優しく温かい。少なくとも、普段は無関心でも、いざというときはそうなれる可能性がある。そう信じる」。
 (JN) 列車の中の人たちは他人である。何か、お願いをする時は、「降ります。通してください」とか、言えるが、手を差し伸べるというのは難しい。席を譲るのも難しいのに、困っているか否かわからないが気になる時に、どうして良いものか。今回の列車内での出産、男はなかなか手伝えないことであるが、いざやらねばならぬことが生じれば、私たちも行動ができるということであろうか。まあ、そんなに起きる事ではないことより、小さな助け合いをすべきであろう。まず、列車内で自分できることは何か。自分よりお年寄り、妊婦さん、弱っている人等に席を譲る。そして、逆に席を譲られたら素直に御礼を言ってにっこり坐る。これが大事かもしれない。