『もしも大喜利がなかったら、今ごろ落語は・・・』

『もしも大喜利がなかったら、今ごろ落語はどうなっていたか』<2018年7月9日(月)>
 「1966年に始まった『笑点』の大喜利は、70年代に『キザ』が売り物の小円遊と、30代で髪の薄い歌丸さんという2人のキャラクターの罵倒合戦が大人気を呼んだ。演芸番組をキャラクターショーに変えたテレビの技術革新だった」と『余録』(180703)は、桂歌丸さんを想う。「晩年は古典落語の消えた演目の復活に尽力し、3年前の腸閉塞の退院直後は正座もできぬ姿を見台で隠して1時間の高座をつとめた。・・・もしも大喜利がなかったら、今ごろ落語はどうなっていたか。テレビしか見なかった若者が古典落語の面白さに目を見張り、豊かな才能が続々高座をめざす落語界をこの世に残し、歌丸さんが旅立った」。
 (JN) 落語をなかなか聴きに行くことがない。何事も生の体験と考えているが、2年行っていない。「笑点」もすっかり見なくなった。昨日も、ごめんなさい、見ませんでした。「笑点」に出ていた若いころの桂歌丸さんを見て、60歳くらいに思っていたので、歌丸さんは長生きだと思っていかが、まだ81歳であった。大喜利で、無理難題の題が出てきても何とかしてくれた歌丸さん、そんな記憶である。実力者であった歌丸さんの生の落語を残念ながら聴くことができなかった。AIが何とかしてくれないであろうか。歌丸さんの過去のデータから、高座の歌丸さんを再現できないであろうか。歌丸さん、さようなら。