『<さようなら、十六番 「痛ましい」と科学者・・・』

『<さようなら、十六番 「痛ましい」と科学者たち>と偉人の訃報のような見出しで伝えた』<2018年5月4日(金)>
 「オーストラリアで世界最高齢のトタテグモの一種が、四十三歳で死んだという」。『筆洗』(180504)はクモの死から思う。「古代からいるというこの種類のクモ、地面に穴を掘ってすむのだが、よほどのことがない限り一生同じ穴で生活する。十六番が脚光を浴びたのは、単に記録からではない。『持続可能性について学べるものだ』。そんな科学者の談話を載せた記事もあった。エネルギーの消費も新陳代謝も少ない定住生活が、長寿につながっていると観察によって分かったのだ。このまま経済が永久に成長し続けることなどないと思えば、いずれは、最も重要な価値観になるだろう。つつましく一つの場所で生き、ヒトへの教訓も残した」。
 (JN) 43歳でオーストラリアのトタテグモ16番が亡くなった。マリナーズの51番よりは1歳若くての一生であった。私たちは様々な環境の中で、生き抜くために動かざるを得ない。51番も随分と居場所を変えた。そして、われわれに感動を与えてきた。しかし、その居場所が永久になるのか、でも選手としてどうなっていくのか。16番は同じところに永住し、クモとしては非常に長寿の43年の命を継続させたという。これをどう考えようか。エネルギーの節約からすれば、確かに動かない方が節約できるが、そういう一生でよいのか。人生の喜びをなんと考えるべきか。質素倹約でありながら、互いに影響しあう社会を作り上げるにはどうすればよいのか。禅問答を繰り返すか。