『坩堝の中で融けあうような活気』

『坩堝(るつぼ)の中で融(と)けあうような活気あふれる教学の場』〈2018年5月5日(土)』
アクティブラーニング、『春秋』(180503)は、吉田松陰松下村塾を引き出す。松陰は言う。「教え授けることはできません。君らとともに学んでいきましょう」。「作家の古川薫さんは著書『松下村塾』の中で、松陰がめざしたものを、『坩堝(るつぼ)の中で融(と)けあうような活気あふれる教学の場』と表現している。何よりも考える力を求めたのだろう。こうした教育は、一部の小中高校で始まっているアクティブ・ラーニングとも重なる。子供たちの力を引き出す工夫が教員にないなら、新指導要領のいう『深い学び』は望めまい。
(JN) 多数の子供達を如何に効率よく同質に鍛え上げていくか。一般の者は如何に指示に対して正確にそれを理解して、その趣旨の通りに行動できるか。それが大事であった。日本は様々な過ちを犯しながら、成長してきた。一方的一斉教授法は効率的であった。一般大衆には、上意下達、家父長制において、これがマッチしていたかも知れない。でも、国は新たな教育法を要求する。春秋は既に160年前、松下村塾で行われていたと。でも、そこは世を変えたい、学びに飢えた者達の話である。さて、アクティブラーニングがそんな簡単にできようか。世にマッチするのか。これは、世の大人たちをもアクティブラーニングを浸透させることが必要だ。形だけでなく、意味を理解して。