『「惣(そう)」と呼ばれる中世の自治組織の活動』

『「惣(そう)」と呼ばれる中世の自治組織の活動』<2018年4月22日(日)>
 滋賀・菅浦地区(長浜市)の須賀神社には膨大な古文書(菅浦文書)が残されていた。それが近く国宝に指定される。『余録』(180422)はその内容を紹介する。「庶民が残した文書が国宝となるのは、極めて異例という。とりわけユニークなのは、『惣』と呼ばれる中世の自治組織の活動に関するくだりだ。惣は裁判と警察について『自検断』と呼ばれる自治権を持ち、『裁判は証拠第一で行うべきだ』と運営を戒めた記述もある。暮らしのルールや隣村との紛争も惣が仕切っていた。・・・『中世日本の集落に高度の自治意識があったことが裏付けられた』・・・。菅浦文書には、隠居した人や寡婦(かふ)への課税の免除とみられる、社会福祉を思わせるおきても記される。今も昔も自治に欠かせないものは、盛んな自立心と、共助の精神であろう」。
 (JN) 過去の善き風習がなぜに現代につながっていないのか。日本の江戸以前の日本の庶民の生活が西洋化されて、消えたことが多いのであろう。西洋の文化は、それがすべてではないが、自然との闘いであり、第二大戦後は米国の影響で色気ない力任せのものになってしまった。我が日本の文化は過去の記録となっていくのであろうか。明治以降、中央集権化した日本は、西洋化とともに、平等と同一化がなされながら、地域格差が広がってしまった。なんでだろう? 日本の和、特に自然との和は消えるしかない運命であろうか。地方の地域は、高齢化と過疎化。お国に御縋りして、原発でもを受け入れるしかないのか。国家の番人たちは、国家とその中核である個人のため政策を策定し行動することが中心である。庶民の生活は政策の圏外である。ではどうしよう。須賀神社の菅浦文書を参考に、「自治に欠かせないものは、盛んな自立心と、共助の精神」を基に自分たちと自分たちの地域を自分たちで住みやすくしていくしかないのであろうか。(image「須賀神社」新宿)