『戦争絶滅の願いに全身を燃やし続けた「むのたけじさん」逝く』

<2016年8月22日(月)>
『戦争絶滅の願いに全身を燃やし続けた「むのたけじさん」逝く』

 「ジャーナリストむのたけじ(本名・武野武治)さんが亡くなった」。「天声人語」(朝日/16/8/22)は「戦争の愚や人生の妙を縦横に論じ、味わい深い箴言を残した。終戦を迎えた日、自身の戦争責任をとりたいと朝日新聞社を退社した。戦中の新聞社であからさまな検閲や弾圧など見なかった、危ういのは報道側の自主規制だと指摘した。沸き立つときも沈むときも集団に流されやすい日本社会で、揺れのないその言葉は何より頼もしかった。ふるさと秋田で30年筆をふるった新聞「たいまつ」の名そのままに、戦争絶滅の願いに全身を燃やし続けた」と。

 私は「むのたけじさん」のことを良く知らないが、わずかな情報において追悼したい。長い人生において辛い経験を積んできた。戦中のジャーナリズムへの自己反省から「二度と同じ恥辱と屈辱は繰り返すまい」と、活動をつづけた。でも日本のジャーナリズムはどうであったのだろうか。歯がゆかったであろう。また、「一人称の主語を明確に」と、私たちは「主語のない生活」を続けており、そのこの「私たち」とは誰だ。戦後処理が未完の日本を「むのたけじさん」はどうしたかったであろうか。平和の祭典、オリンピックが本日、リオデジャネイロでは閉会式が行われ、4年後の東京へ引き継がれた。安倍首相は「安全な」と述べたが大丈夫であろうか。そして、平和憲法を持つ日本、「むのたけじさん」が言うように「戦争防止のくさびを打つ東京オリンピック」にしたい。「日本は試されている」。私もそう考えるが、これからの人生で何ができるであろうか。(JN)