『葬儀は萩山さんの世話になり、その人柄を慕う人で・・・・』

『葬儀は萩山さんの世話になり、その人柄を慕う人であふれかえったという』<2017年11月5日(日)>
 今年の6月に東名高速道路であおり運転を受け事故死した萩山嘉久さんについて、『余録』(171105)は静岡市で困窮者の自立や更生を支援している団体の代表からの話で伝える。萩山さんは自動車整備工場を経営しており、「保証人がいなくても中古車を安く売ってくれた。夜中までよく仕事をしていた。車が故障して困っているとすぐに来てくれた。今年6月の夜、彼は少年院を退院したばかりの若者と萩山さんを待っていた。深夜になっても連絡がない。東名高速道路で事故に遭い、奥さんと亡くなったと聞いたときにはあまりのショックで目の前が真っ暗になった。誰に対しても優しかった。言葉を荒らげるのを見たことがない」人であったと。
 (JN) 実行できるということは最大の能力です。私などは、言うばかりで何もできない。この「余禄」で萩山さんのことを知り、あの事件を思い出す。言わなければならない、やらなければならない。でも、それのことで恨みを買うことがあろうとも、せねばならないのか。見知らぬものは互いのことを理解できない。知り合い同士でも、相互理解は難しい。理解されない他者からの攻撃をどうかわせばよいのか。人も国もわが身を守らねばならない。首相には常に警護がついているが私たちは自分たちで守られなば習い。では、銃を所持すべきか。いや、そうならない社会を作らねばならない。萩山さんの心はこの現実をどうとらえていたろうか。この問題はいつ止揚されようか。