『「寛容」の思想の定着までには血みどろの宗教戦争を・・・・』

『「寛容」の思想の定着までには血みどろの宗教戦争を経験せねばならなかった』<2017年11月6に意(月)>
 「マルティン・ルターがドイツ東部のウィッテンベルク城教会の扉に『95カ条の論題』を張り出したのは1517年だった」。『余録』(171103)は宗教改革500年に思う。「同地に集まり、宗教改革500年の式典が行われた。参列者は多様な意見を尊重する『寛容』など、改革の遺産の重要さを強調したという。式典で寛容が強調されたのも、反イスラムを掲げる排外主義が台頭する中でのことである。式典と同じ日、米ニューヨークではイスラム過激派に影響された男の自動車暴走テロが起こった。異質なもの、異なる信仰を認め合う世界をめざす営みが、なお試練にさらされる宗教改革500年である」。
 (JN) 恥ずかしながら、私には宗教に対する知識も感覚がない。小学校に入る前の2年間をカトリック系の幼稚園での教育をうけたが、身に付いていない。寛容であれと教えられたであろうか。確かに、シスターたちは寛容であったろう。でも、攻撃を加えるものや、考えを異にする者へは、戦う。我が身と我が考えを守るためには、互いに相容れない。というより、その時の勢力が様々な解釈を加え、勢力を堅持しようとする以上、宗教の戦いは続き、500年経っても1000年経っても変わらないだろう。