『ボブ・ディラン、ノーベル文学賞』

<2016年10月15日(土)>
ボブ・ディランノーベル文学賞

 昨日より、ノーベル文学賞ボブ・ディランが受賞したことで、各紙が取り上げている。昨日の「筆洗」は「ノーベル音楽賞があったならば、誰が受賞していただろうか。マーラーやラベル・・・・カザルスか…と。世界に新たな歌を響かせたボブ・ディランさんだ。音楽賞はなくとも、文学賞があった」。本日、「天声人語」は「ボブ・ディランのしわがれ声は聴けばすぐ分かる。村上春樹さんが小説で、登場人物の女性に語らせたことがある。『まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです』」。「春秋」は「とはいえケチをつける声もあって、英スコットランドの作家、アービン・ウェルシュ氏は『もうろくしたヒッピーによる懐古趣味賞だ』と毒舌を吐いている。既成の秩序からはみ出して、訴えたいことを自在に表現してきたのがディラン流だ」。「余禄」は「『どんなレッテルを貼られてもかまわない。歌うためならね』もディランさんの言葉である。当人にはノーベル文学賞も新たなレッテルの一つにすぎまい」。

 ボブ・ディランの歌は、直ぐわかる。と言うより、詩への興味を持たぬノンポリで、派手でロックなミュージックに魅かれていた私には、なんとも理解ができない歌手であった。恥ずかしながら聴く曲が同じに聞こえた。我がレコードやCDのコレクションにおいて、彼の歌っている曲は、「バングラデシュチャリティーコンサート」における数曲だけであり、彼のソロ・アルバムは持っていない。今、iTunesで彼のアルバムを聴いている。半世紀ほど前のあの時代を思い出す。ベトナム戦争、新宿騒乱、三島由紀夫沖縄返還、長髪・無精ひげ、ヒッピー、成田闘争、How many deaths will it take till he knows That too many people have died ?(JN)