『事故や遭難が心配な季節でもある。山が高くても低くても人間の小さ

『事故や遭難が心配な季節でもある。山が高くても低くても人間の小ささを心にとめたい』<2017年8月12日(土)>
 「きのうの山の日からの3連休。仲間と山に入った方も多いだろう。事故や遭難が心配な季節でもある」と『天声人語』(170812)は注意を呼び掛ける。「随筆家の故・串田孫一さんは『山の中で人は蟻のようになる』と書いた。『人は山で小さなものになり始める。儚いものになり始める』。大きな自然に包まれ、解放され、興奮する。そんな気持ちを味わうために山へ向かうのだ。山が高くても低くても人間の小ささを心にとめたい。スマホやGPS機器などの最新の道具で、安全が保証されるわけではない」と。
 (JN) 昨日は「山の日」だったが、特に山に登らなかった。山のことも考えずに一日が終わった。思い出せば、テレビやラジオで山の特集をしていたのは、そのためだったのか。すっかり山から遠ざかっているためか、関心が薄い。今年は数回ハイクをしようと手帳には書いてあるが、山に関する発想が欠けている。そう、子供たちが中学生くらいまでは、山に行くのに付き合ってくれた記憶がある。なぜに山に登るかなど考えもせず、その到達の爽快感であったのか。串田孫一さんは「山の中で人は蟻のようになる」と述べているように、高尾山は前の蟻の背中を見て黙々と登った。串田さんの蟻とは違った解釈かもしれないが、山の雄大さは登らないとわからないと蟻は思う。またこの雄大さに私たちは飲み込まれてしまうことがある。下界の蟻たちは山を理解していないから事故が起こるのである。