『ヘレン・ケラー、「人生は恐れを知らぬ冒険か、それと・・・』

ヘレン・ケラー、「人生は恐れを知らぬ冒険か、それとも無か。そのどちらかである」』<2017年8月13日(日)>
 「ヘレン・ケラーは女性参政権を求め、人種差別や死刑反対の政治活動に熱心で、日本など世界各国を訪れ、多くの人に影響を与えた。まさに冒険に満ちた生涯だった。現在の日本、視覚障害聴覚障害は法律に規定されているが、『盲ろう』は法的な定義がなく、教育や福祉の保障については遅れている」と『余録』(170813)は指摘し、ある映画を紹介する。「『宇宙の中にひとり取り残された感覚』『1日が40時間にも50時間にも思える』。そんな人々の暮らしを追ったドキュメンタリー映画『もうろうをいきる』が今月26日、東京・ポレポレ東中野を皮切りに全国で順次公開される。・・・(様々な)コミュニケーションを使って周囲との豊かな人間関係を紡いでいる。それぞれが『恐れを知らぬ冒険』の人生を歩んでいる。」
 (JN) 法律上は、あらゆる場面で、皆ができるだけ同じ機会を得ることが求められている。しかし、私たちはそれぞれに違って能力を持っているのに、皆が同じで能力である世界におけるような解釈での機会均等を求めていた。それが徐々に皆が違うことを理解するようになってきている。でもそれを認めることは、今の自分が心地良いと思っていることを変えねばならぬことであり、抵抗がある。A氏は思う。自分は普通である。そして、A氏はB氏にあなたも普通、ここの皆も普通と解釈させ、この場を自分たちと違う人のために負担する必要があるのかと考える。それが大きな間違えである。現実を認めることは、凡人には怖い。自分がメジャーな立場でいたい。さてどうしたらよいものか。この壁もAIによって崩していけないか。いや、自分たちの解釈を変えねばならない。まずは現実を『もうろうをいきる』で知り、解釈してみよう。