『ピカドンによって生まれた 小さな風たちよ/…この世・・・』

ピカドンによって生まれた 小さな風たちよ/…この世のすべての人を 揺さぶる風になれ/…おろかなあの日を 知らしめる風になれ』<2017年8月10日(木)>
 「きのうも長崎では、午前十一時二分に、サイレンの音が響きわたった」と、『筆洗』(170810)はその日を想う。それは長崎市長の訴えにて伝える。「遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください」。また「長崎県内に住む吉田美和子さんは<ピカドンによって生まれた 小さな風たちよ/…この世のすべての人を 揺さぶる風になれ/…おろかなあの日を 知らしめる風になれ>とうたった。『もし自分の家族が…』と考えれば、小さな風の声が聞こえるはずだ」。
 (JN) 忘れっぽい方は、もう昨日の式典から原爆の話が来年の8月6日まで頭から抜けてしまうか。いや、私たちは昨日の長崎の黙とうを以て原爆のことを忘れてしまってはならない。「もし、そこに自分の家族がいたら」。広島として長崎の式典は儀式ではなく、平和への行動である。この恐るべき兵器そして戦争がなくなるまで、私たちはその旨を訴えて変えていかねばならない。変えていかねばならぬのに参加すらしない。原爆の傘にいることを選んだ国をまずは変えねばならない。現実の政治は、強大な火力殺傷力が最大の武器となっている。それを変えなければならない。その勇気を持つ為政者がいなくとも、一般の者が一人ひとり勇気を持たねばならない。