『火器を潰して、花火競争にしてはどうだ』

『火器を潰して、花火競争にしてはどうだ』<2017年7月30日(日)>
 北朝鮮のミサイルの発射に「春秋」(170730)は、それを含めての軍事的な勢力争いの愚行を思う。「20世紀の国際社会は、力こそ正義との発想や秘密主義など「あまりにも子供じみた考えにささえられていた」と作家の小松左京は語った。愚行の連鎖を断ち切り、理性と対話で物事が決まる大人の時代へと脱皮していくはずだった21世紀。子供のまま力をつけた国々の手で時計の針が逆回転させられていくさまは、悲しい」と。
 (JN) 宥和政策で、北朝鮮の権力者を理解させるためには、どんなことが必要であるのか。それによって、緊張緩和が継続され、やがて融和できるのであろうか。第2次世界大戦勃発のような失敗をしないためには、戦争が無益であることを知らねばならない。昭和十年代、日本は米国の経済的な圧力に火力を持って挑戦した。瞬間的な火力はあっても、絶対的な力の差と原爆によって、膨大な被害を以て停戦を得ることとなった。国民の犠牲が一体何になるのか。今の北挑戦はその軍事力増強に既にどれだけ国民を犠牲にしているのか。国は国民のためにある。昨夜の隅田川の花火を歴史学者磯田道史氏は、平和な江戸時代が火薬を武器から花火に変えたようなことを言っていた。北朝鮮をはじめ、各国は火器を潰して、花火競争にしてはどうだ。例えば、オリンピックの始まる時、各国は一斉に花火を挙げよう。そして、スポーツの祭典に首脳陣が集まり、裸の付き合いをせよ。まずは、平昌だ。そして、板門店を行き来しよう。