『国連で百二十以上の国が交渉を続けていた「核兵器禁止・・・』

『国連で百二十以上の国が交渉を続けていた「核兵器禁止条約」が、ついに採択の時を迎えつつあるのだ』<2017年7月7日(金)>
 1950年代、米国は核の脅威に対して、子供たちへ身を守る訓練をさせた。。<これが時速何百マイルの速度で/飛んでくるガラスの破片やその他の物体から/あなたを守る方法です/そしてあなたの眼球を/溶かすこともできる白い閃光から/あなたを守る方法です>。『筆洗』(170707)はデイヴィッド・クリーガーさんの詩の問いかけが、「一つの形になりつつある。国連で百二十以上の国が交渉を続けていた『核兵器禁止条約』が、ついに採択の時を迎えつつあるのだ。しかし、日本政府は交渉に参加すらしなかった」。
 (JN) 核ミサイルが一発でも発射されたら、それは連鎖反応を起こし我々人類とともに地球上の生物のどの程度まで死滅するのであろうか。とにかく、発射されたら終わりである。守る手立てなどなかろう。核保有国は自分たちが発射することがないという自信があるのだろうか。気がくるっていれば別だが、こんな物騒なものを作るには、使わないというそれだけの自信があろうか。発射すれば世界に平和がやってくるのか。破壊された世界しかない。それがわかっているものは、あるいはわかろうとしているものは、「核兵器禁止条約」を採択しようと努力するであろう。我が日本はその脅威を体験しているのに、その行動を誤っている。私たちは核兵器利用に賛成していることになるのか。