『雨の大切さは変わらないが、現代の日本では・・・』

『雨の大切さは変わらないが、現代の日本ではそれほど牧歌的には語れないかもしれない。』
 「自然の無情さに、怒りをおぼえる。地震の被害を受けて2カ月余りの熊本を、豪雨がおそった」。「天声人語」(朝日/16/6/22)は、このところの自然災害から、「『異常』であろう。しかし、それが異常と思えなくなるほどの昨今の豪雨の頻発である。夕立ではなくゲリラ豪雨が、日本の夏の風景になりつつあるかのようだ。雨の大切さは変わらないが、現代の日本ではそれほど牧歌的には語れないかもしれない。九州ではきょうも、大雨のおそれがあるという。備えを警戒を、怠るまい。」
 自然と言うものは容赦ない。それは自然は自然であり、私たち人間のことなど考えていない。一方私たち人間も勝手に自然を壊して、勝手に使っているわけである。であるから、自然が勝手に怒り、暴れても文句は言えないのであろう。そのため、私たち人間は、その怒りを予測し、できるだけ被害を受けないようにしなければならない。しかし、私たちは過去の経験を基に予測するため、記録豪雨は予測が難しく、また被害は更なる大きさになる。私たち日本に住む者には、自然との関係でそれなりに知恵があり、その昔は自然との調和・共存していた。それが西欧文化の輸入により、自然を押さえつけるようになり、仁義なき戦いになっている。(JN)