『百貨店という店のあり方が時代と合わなくなったのか。・・・』

『百貨店という店のあり方が時代と合わなくなったのか。寂しく思う向きも多かろう』<2017年3月13日(月)>
 「空襲で焼け野原になった終戦直後の東京。ほどなく子どもたちの笑い声が戻った場所のひとつが、百貨店の屋上だった」。「春秋」(170313)は、伊勢丹の社長が退くに当たり、「逆風下でビジネスの舵(かじ)を取る難しさを感じる」と。そして、「百貨店からテーマパークやショッピングモールへと、家族で丸1日過ごせる場が移って久しい。百貨店業界の売上高は最盛期の9兆円台から5兆円台に縮んだ。店の数だけでなく扱うモノの幅も減り、屋上に遊具を備えた店も見かけない。百貨店という店のあり方が時代と合わなくなったのか。寂しく思う向きも多かろう」と。
 (JN) 嘗て栄えた百貨店、それを支えてきた人たちは今をどう考えていようか。再度、同じような繁栄を求めていようか。もう、その時と同じことにはならない。この商品経済においては好不況を繰り返すが、その性質はそれぞれに事なり、好況の主体的活動体が変わって行く。消費者はどこを向いて行くのであろうか。そんな人気落ちの百貨店だが、私のような御上りさんにはデパートがたいへんにありがたい。妻に見捨てられた時の買い物や地方出張での買い物は、デパートがあったからできた。値段はちょいと高いが、その品は安心できる。それにおねえさんたちが丁寧に世話を焼いてくれる。シーラカンスには都合良かった。それがもう今の時代に合わなくなったのでしょうか。