『小説家は楽譜を書いていて、読者はその楽譜を演奏して・・・』

『小説家は楽譜を書いていて、読者はその楽譜を演奏してくれる演奏家だ(宮原昭夫)』<2017年2月4日(土)>
 青少年読書感想文全国コンクールの高等学校の部で毎日新聞社賞を受けた2年生の野澤夏枝さんは「コンビニ人間」を読み、テーマは「私であるために」。「余録」(170204)は、その一部を紹介する。「世間が強いる『普通』に振り回される主人公が興味深かった。『狭い環境にいるとみんなが似てくるとか、規則なんか無視する男が実は世間に順応したがっている』。小説という譜面から物語を演奏し終えた野澤さんはあるがままの自分に少し自信をもてた気がした。」
 (JN) なるほど、私たちは演奏家か。楽譜から想像する小説の世界は、みんなそれぞれに違う。小説の中の世界は普通なのであろうか、普通ではないのか。それに対する好き嫌いもあろうか。自分が読みたい小説を選んできても、思いとは違うものもある。でも、思いとは違っていてものめり込んでしまう。そして、各自の演奏を始めるのか。スピードやテンポも、それぞれに違い、各自が勝手に楽しめる。主題とともに、見えない旋律も自分で作り上げ、楽しんでいく。演奏を止められなくなる。次はどうなるのか、どんどん指揮が早くなる。この楽譜は、時間泥棒でもある。目を瞑ってその空想に耽ると、あっという間に時間が過ぎてしまう。演奏は終わらないが、演奏を止めたときの現実を思うと不安である。