『コンピューターはコスモスではない。だれもが迷う密林だ』

『コンピューターはコスモスではない。だれもが迷う密林だ』
 「天声人語」(朝日/16/5/7)は、コンピュータシステムへの偏重を考える。先日のJR東日本コンピュータ「コスモス」の故障や航空会社の相次ぐシステム障害は、コスモスであるべきシステムが、その限界を知るべき使用者がカオスに貶めていると。「鉄道、航空、金融。日々の暮らしを支える巨大システムは、頑丈な鉄橋に見えてその実、細くもろい吊り橋だったと知る」と述べる。
 命令通りに動く、限界を超えれば動かない。人間と違い予測のつくように思われるが、それは人間がそれを理解できるればである。しかし、その能力がなければ混乱が生じる。コスモスであるはずなのに、私たちがそれをカオスにしてしまうのである。問題は、人間にあり、人間が全ての操作をコンピュータに任せない限り、カオスは生じる。でも、人の手から全ての操作をなくした瞬間に人間の価値は消え失せることであろう。そして密林で迷うことはなくなり、吊り橋も必要なくなることだろう。(JN)