『新幹線が走る時代をまずは率直に喜ぼう』

青函連絡船「洞爺丸」の事故ではおびただしい犠牲者を出した海である。その下を新幹線が走る時代をまずは率直に喜ぼう』
「1988年3月13日――。青函トンネル開通の日の、胸の高鳴った乗車取材である。じつに四半世紀余を経て、その海底の動脈が新たな役割を担う。」「春秋」(日経/2016/3/26)は、新幹線の青函トンネルへの乗り入れを想う。「ほかの新幹線とは違う重みをかみしめる人も少なくはないだろう。現実を見ればめでたさも中くらいだ。青函連絡船「洞爺丸」の事故ではおびただしい犠牲者を出した海である。その下を新幹線が走る時代をまずは率直に喜ぼう。28年前の取材では消える連絡船にも乗った。洋上3時間50分。長い航海の記憶がいよいよ遠くなる。」
海峡を渡るためには、橋を渡せなければ、船か飛行機を使わねばならない。従って、北海道と本州の間は、天候が悪いと交通は止まった。津軽海峡を越える時、昭和の出張者は、十分な先の読みが必要だった。青函トンネルができてからも、時間のかかる在来線では、行動は早めにせねばならなかった。それが、やっと新幹線が函館までつながった。何より飛行機が嫌いな者への素敵なプレゼント、ありがとうございます。(JN)