『子供は下校すれば、学校から自由な存在だ』

『子供は下校すれば、学校から自由な存在だ』
 「中学入学と同時に頭髪を丸刈りにさせられた。自分の体なのに自由にできない。基本的人権の侵害だ」。「天声人語」(朝日/2016/3/17)は、筆者の過去を思い出し、校則について思いを述べる。「学校は、校外での生徒の生活にどこまで介入できるのか。高校生がデモなどの政治活動に参加できるようになり、焦点になっている。学校への事前の届け出制を文科省が容認したところ、愛媛県立の全59高校が届け出を義務化することにしたという。そもそも校外の行動を逐一把握し、管理できるのか。先生方の負担増が心配になる。そもそも、子供は下校すれば、学校から自由な存在だ。」
 私など子どものころは、学校の規則は絶対であり、それに逆らうなど考えもしなかった。従うことに慣れてた愚者は、何の疑問も持たず、小中と9年間の学校教育を経て、高校に進学した。ところが高校は、自由度が高く戸惑った。自由ではあるがただ自由というのではなく、校則とモラルを考慮しないと、ご指導を受けるのである。校則に縛られていた愚者は、何が一般常識であるのか、倫理的行動はどうなのか、考えていなかった。ただ学校の縛りの中で、過ごしていてはだめなのである。学校とは何をする場であったのか。校則で縛られることは、学校は、子供を守ることより、その他の学校の構成員を守ることに力を費やしているのではないか。子供が社会で生き抜くための教育が二の次になってしまう。何を守るのか。自由も守らなければならない。(JN)