『これまで悲惨な事故が起きるたび、通学路の見直し・・・』

『これまで悲惨な事故が起きるたび、通学路の見直しが叫ばれてきた』<2018年4月17日(火)>
 我が国の子どもたちの通学路が安全であるのか。『春秋』(180417)は『すごいね!みんなの通学路』のを紹介し、問いかける。「手こぎの小舟で川を」、「ワイヤ2本張っただけの橋を」、「水牛の背に揺られ」、「絶壁を」、「水を張った大きなたらいを頭に乗せて」。「『大好きな学校に行きたい』との気持ちが伝わってくる。思わずはっとさせられたのは、散乱するがれきのなかを歩く2人の子どもの写真だ。説明には『日本/地震津波』とある。『途上国では通学も大変だろう』などという先入観で本を手にした自分の誤りに気がつく。歩行中に車にはねられ、死傷した事故の被害者を年齢別にみると『7歳』が突出して多い。目立つのは登下校中の事故なのだ。これもまた、わが先進国の通学の現状といえる」。
 (JN) 子どもたちの生活の安全と子供たちに様々な経験の機会を与えるのが、衣食住の確保とともに私たちの最低限の仕事である。これは我が子から見知らぬ子供たちまで、範囲は広いが、まずは身近な子どもたちの安全を確保したい。危険な人、危険なもの、危険なことから子どもたちを守るのは地域が協力してやらねばならない。通学の間に安全なはずの日本だが、その通学の経路には様々な機会があり、それを如何に安全に経験して行くか、当人たちも大人も真剣にやらねばならない。子どもたちは、まずは親が見本であり先生であるから、その行動を見事に前するのである。車道を横切る。歩道を猛スピードの自転車で突っ走る。混んでいる道を駆ける。信号が青になる前に進み出す。まあとにかく、『すごいね!みんなの通学路』を見てみようではありませんか。一人ではなく、多くの人と見てみましょう。そして、『春秋』に書かれてあるように、自分たちの通学路集をつくり、危険がないか確認をお願いします。子どもたちの通学路が安全性よりも、大人の都合でできていたりしないだろうか。