『球団側は「験担ぎ」と説明しているが』

『球団側は「験担ぎ」と説明しているが』
 「野球選手がよく縁起を担ぐのは一種の儀式や所作。それをやめれば落ち着かないせいだろう。根拠のない験担ぎにこだわる選手はほほえましく、健気でさえあろう。この「験担ぎ」には胸騒ぎを覚えるのはカネという大人の事情が絡むためである。」「筆洗」(東京新聞/2016/3/16)は、「巨人の選手たちが、勝った試合で円陣の『声出し』を担当した選手に対し、現金を支払っていた問題である」という。「カネで士気高揚という発想が野球ファンには悲しい。われわれが球場に行くのは勝利のため無心で白球を追いかける大人の『少年』を見るためである。そのプレーで、カネ計算と大人の事情にまみれた『日常』をつかの間でも忘れたいがためである。見たいのは間違っても、大枚を受け取ってニヤつく『大人』ではない。」
 資本主義の世の中、お金が価値尺度であり、労働の成果はお金で表現される。験担ぎも、お金で表現されてなぜいけないのか。話は、それだけではなく、その前が問題であった。賭博は黒い世界が絡む。麻薬や賭博は、黒い世界の資金源、どんどん深みに填まって行く。まずは、野球賭博の件をはっきりさせよう。円陣の「声出し」における現金支払いももう終わりにして、他のことで験担ぎをして行こう。とにかく、この賭博問題は、ペナントレースが始まる前に、行った者を全て洗い出し、プロ野球の世界から出て行ってもらおう。賭博に関わった者は、大人として名乗り出よ。大人で無理なら、子供のような無垢な心で名乗り出よ。グラブを外せ。(JN)