『「先生」は明治の精神に殉死する』

『「先生」は明治の精神に殉死する』
 「平成版の薩長土肥連合、来年が明治150年。日本にとって明治とは何だったのだろう」と、「春秋」(日経/2016/1/31付)は思う。「夏目漱石『こころ』の最終段、『先生』は明治の精神に殉死すると語る。徳川時代の古い道徳に代わり、明治に新しい道徳が芽生えた。しかし人々の心はあっという間にカネと権力という欲に奪われてしまう。この年明けも、カネや権力に心をむしばまれたかのような後ろ向きの話も目立つ。月の区切り、昔に目を転じたりしつつ、気分を入れ替えたい。『今は二月 たつたそれだけ/あたりには もう春がきこえてゐる』(立原道造)」。
 今生きている者は、只管、日々に追われるが、ふと過去を振り返ると、戦後、世界は随分変わった。それが激動の幕末から明治の時代であれば、尚更変化が大きく、また資本主義の世界に飲み込まれていったのであろう。明治時代の国力を高めなければ列強に取り込まれてしまうという恐怖は、今も変わらない。それが様々な時代と世界で生じ、そのためにカネと権力を我が物にしようと、心を資本に売ってしまう。それでも、生きている限り、春はやってくる。1月が終わってしまう。今年度はあと60日だ。この目先の目標も大事だが、明治の精神を考えてみよ。