『「法的には問題がない」と言うのは二重に道義に反している』

『「法的には問題がない」と言うのは二重に道義に反している』<2017年7月1日(土)>
 十年ほど前、故・鶴見俊輔さんが「『重く受け止めごっこ』が流行したら、どうなるだろうか」と話したと。『筆洗』(170701)は今度は「法的には問題がありません」ごっこが流行しないかと。この「ひと言がいかに便利か、この国の大臣たちが繰り返し教えてくれている」。そして「不思議なのは、開き直る元文科相らが、道徳教育には熱心なことだ。宿題をサボって叱られた子どもが『指摘は重く受け止めますが、法的には問題がありません』と言いだしたら、この人たちはどんな顔をするだろう」。
 (JN) 今の子供たちが、どこまで政治家の言動に興味を持ってくれるかわからぬが、真似をされては困ることだれけである。違法な発言でも「誤解を招きかけない発言」と詫びをすれば大丈夫と思われてはどうであろう。法的に問題があるかないかわからぬのに、そして道徳を蔑ろにして平気で「法律に問題はありません」という。その昔、「記憶にございません」という嘘もあった。法律とは何なためにあるのか。権力者のためにあろうか。人数の力が正義だと子供たちが理解してしまえば、この国は将来はどうなるぜよ、腕を組んで考えてしまう。