『社会鍋、名前が紹介されない。税金の控除もない。・・・・』

『社会鍋、名前が紹介されない。税金の控除もない。見返りとは無縁の心が鍋を温める。』
 「社会鍋、なぜか年末の街にはよく似合う」と「余録(毎日新聞/2015/12/21)」は、続ける。「生活困窮者を直接支援する社会鍋は東京だけで11カ所、全国40カ所以上に広がる。ただ、近ごろは素性の怪しい募金団体が現れて、とばっちりを受けたりもする。東京・新宿駅の西口地下では『苦情が来るので救世軍だけを特別扱いはできない』と活動許可が下りなくなった。寄付文化の層が厚くはない日本だが、ふるさと納税はうなぎ登りだ。『お得感』ばかりが伝わると、老舗の社会鍋は分が悪い。銀座で1万円札を小さく折りたたんで鍋に入れる年配の女性がいた。見返りとは無縁の心が鍋を温める。」
 日本は、何時から心が貧しくなったのか、弱者への支援が弱い。寄付とか、ボランティアとか、戦後の地域活動の崩壊とともにそれに代わるものが少なく、相互支援が消えて行った。それよりも、隣より良くなることにばかり考えが行き、個人として、自治体として、自分たちが良ければとなってしまった。寄附も心からの寄付であるのか。お前はどうなのか。勿論、寄付を毎月行っている。しかし、僅かな金額でお恥ずかしいが、そのお恥ずかしい金額を多くの人が行えば、恥ずかしくない金額になって行く。皆様、歳末だけでなく、日々、寄付をお願いします。そして、頭も身体の動く若者はボランティア活動をしましょう。それが暖かい寄附である。(JN)