『神君か腹黒いタヌキか』

『神君か腹黒いタヌキか』
 「今年は400回忌にあたる。ゆかりの地で行事が目白押しだ。会場に現れるだけで喝采を浴びるのが宗家18代ご当主の徳川恒孝さん」について、朝日「天声人語」(2015年10月25日)は、氏の考えを伝える。「日本郵船に長く勤めた。13年前、副社長を最後に退社。記念財団を立ち上げ、遺徳を伝える活動を本格化させた。家康公につきまとう『タヌキおやじ』像をぬぐいたいという思いがある。260年の間平和を保ち、独自の文化を築いた。胸を張りたいと思います」。
 家康公が腹黒かったか、「タヌキおやじ」であったか、それは小説としての面白さに必要なことであろうが、私の表向きの考えとしては、大事なことは志を持って天下を取ったことである。天下取りとともに平和な世を作ろと考えていたかは疑問であるが、島国のこの時代であるからできた「ひきこもり国家」は、平和の中で独自の文化を作り上げた。これ対して明治政府は、徳川幕府の全てを否定せざるを得なかったため、ゆがんだ歴史解釈もあり、それは今も私たちのどこかに残っている。特に人物イメージは、子孫の方々には申し訳ないが面白く残っている。それは、それなりに、わかりやすい共通イメージになっている。前の上司は信長風だが、今度は家康風? どちらも力強い。(JN)