『自然の猛威の中、助け合う人の姿は美しく、いとおしい』

『自然の猛威の中、助け合う人の姿は美しく、いとおしい』
 鬼怒川は、猛々しく、氾濫を繰り返してきた。日経「春秋」(2015/9/11付)は、その名称をひもとく。「おどろおどろしい字面だ。鬼怒川、歴史をひもとくと、鬼という字や怒という字を昔から使ってきたわけではないらしい。古くは毛野川」。「衣川」あるいは「絹川」と書かれたこともあるとか。読み方はそう変わらないのに印象は正反対。不思議な名前ではある。1階が濁流に呑まれ、いまにも流されそうな家の屋根に上った家族。水の中で立ちすくんでいるかのような電信柱にすがり、助けを待つ男性。やっぱり鬼が怒る川と書くのがふさわしい、と思う。「50年に1度」といわれる豪雨が、今回の氾濫の原因だ。自然の力はときに鬼と呼ぶしかないほど猛々しく、神秘的でもある。だからこそ、助け合う人の姿は美しく、いとおしい。」
 私たちの住んでいるところは、過去にどんなことがったのであろうか。また、どんな危険があるのだろうか。昔から、その地に先祖代々住んでいるならわかろうが、新たに住み着いたものにはわからぬことが多い。日頃から、地域住民同士で情報交換し、またお互いの顔を知り合い、いざという時に助け合える環境をつくらねばならない。自然災害に対して、行政の力が勿論必要だろうが、私たちは各自、地域の中で日々の交流が自分たちを守る。お父さんたちは、相変わらず職場の方を向いているかもしれないが、夜や土日の付き合いを職場関係から、家族の住む地での交流に力を入れて行きたい。何時、自分たちが助け合う当事者になるかわからないのです。(JN)