都が『安心して海に顔をつける』ための楽しげな社会実験を打ち出した

都が『安心して海に顔をつける』ための楽しげな社会実験を打ち出した
 「都心海水浴」に興じる。日経「春秋」(2015/7/14付)は、高度成長期に姿を消した東京の海水浴場に、「なぎさを走る子どもたちの笑顔がはじけ、海辺の生き物に歓声が上がれば」と期待する。
 「今週末から土日を中心に、葛西海浜公園にある干潟が海水浴場として開放されることになったのだ。ほぼ半世紀ぶりに『顔つけ可』が復活したのは、排水規制や下水道の整備に加え、海水をろ過する貝や海藻を育てる地道な取り組みを進めてきた、地元NPO法人の活躍が大きな力になった。なぎさを走る子どもたちの笑顔がはじけ、海辺の生き物に歓声が上がれば」と。
 私は、「海は、汚れているものだと思った。」これが大袈裟ではないほど1960年代の東京付近の海は、汚かった。それは、そこに流れ着く河川も同様であった。それでも、そんな汚い川、私の場合には多摩川で泳いでいた。よく腹を壊さなかったものである。正にそれから半世紀、その姿を戻しつつあるが、失ったものがいっぱいあるのだろう。自然が戻り、環境が良くなったことをアピールしたいが、世界に向かっては何を失ったか、それを明らかにして、これから汚れようとしている世界に伝えて行けないか。自然破壊だけでなく、人間自身、家族、社会を破壊して行ったその歴史を伝えたい。(JN)