『現代史が面倒なのは、すべての選択がまだ可能だった・・・』

『現代史が面倒なのは、すべての選択がまだ可能だった時期を人々が記憶しているため』
 8月14日に発表される首相の戦後70年談話について、日経「春秋」(2015/8/11付)は、「過去を直視し、その上で平和国家として歩んだ70年に胸を張ってこそ、歴史に残る談話となるはずだ」という。
 「70年前の8月11日は土曜日だった。当時、毎日新聞大阪本社の記者、藤田信勝は日記に『軍人の玉砕論を半ば共感、半ば反感の気持ちできいている』。その1カ月前、海軍軍令部に勤める友人のこんなひと言、『これほど負けて(和平の)条件なんかあるものか。アメリカに教育されるさ。初めからやり直しだ』と聞き、『生きるにしろ、死ぬにしろ、正しいと思う道を行く』と残している。今、安倍首相に注文するなら、無謀な戦線拡大や本土への相次ぐ攻撃を止められず、国と国民を存亡の危機に立たせたことへの言及が欲しい。その時ことを語るに当たって、『現代史が面倒なのは、すべての選択がまだ可能だった時期を人々が記憶しているため』(E・H・カー)である。であるからこそ、過去を直視し、その上で平和国家として歩んだ70年に胸を張ってこそ、歴史に残る談話となるはずだ。」
 日本が戦争を行った罪は、その時からずっと歴代の首相が負っているし、これからも同様だ。そして、そのことへの謝罪も永続的にあってもおかしくない。歴史には終わりがない。閉鎖した枠の中で収まることは歴史にはない。そして、地域も全世界に対して責任がある。日本の軍隊が足を踏み入れた地域だけではない。忘れてはならないのは、「春秋」が指摘するように、日本の国民に対しての謝罪である。そして、悲劇を繰り返してはならない。今後、時間とともにその記憶や記録は薄らいでゆくだろうが、人として、自分たちの過去に対して言い訳をせず、事実を受け入れて行きたい。(JN)