身体の動かない不幸よりも心の動かない不幸の方が私には耐えられない

『身体の動かない不幸よりも、心の動かない不幸の方が私には耐えられません』
 幸福とは、不幸とは、毎日新聞「余録」(2015年07月28日)は、東大の『障害者のリアルに迫るゼミ』に招かれた筋萎縮性側索硬化症(ALS)の岡部宏生(おかべ・ひろき)さんの話から考える。「『本気で死のうと思ったこともありました。でも、その時は(すでに身体が動かなくなり)自分で死ぬこともできず、まさに、手遅れでした』。しかし、人工呼吸器を着けて明るく生きている先輩の患者を見て考えが変わったという。学生の『僕は生きる意味がよくわかりません。無目的に生きている僕らと岡部さんとどちらが幸せなのでしょうか』という質問に岡部さんは答えた。『身体の動かない不幸よりも、心の動かない不幸の方が私には耐えられません』。学生たちは黙って岡部さんを見つめていた。」
 『僕は生きる意味がよくわかりません。無目的に生きている僕らと岡部さんとどちらが幸せなのでしょうか』と、この学生は何を考えているのかと思いたくなるが、ではあなたはどんな目的で生きているのかと問われ、何と答えるか。生きる意味を示すことは難しいが、無目的ではなかろう。多分、質問をした彼は、東大に入ることを目的としていた。そして目的を達したかのような状態であるので、無目的であるような状態なのであろうか。だが、直ぐに彼は、権力という目的が様々な目標を生みだし、心動かされよう。その日々に心動かされることが生きる意味の一つであろう。心動くことにどんな理由であろう、その動くことの有難味も感じなければならない。この世に生まれたことに感謝したい。(JN)